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2017-05-30 22:04:00

全国農協中央会の思い出。

全国農協中央会の思い出。
 
 
もう20年も前のことになるんですね。
大学4年のちょうど今の時期でしたが、私は全国農協中央会の就職試験を受け、そして落ちました。
何を考えていたかは具体的には忘れましたが、農協全国連を片っ端から受けていこうと思っていました。本命はJA新聞連(現・日本農業新聞)でしたが、内定を貰えさえすればどこでも入る気でした。
 
全中については、立花隆の「農協・巨大な挑戦」という本を読み、JAに対して批判的な論調でしたが、漠然と全中がJAグループの中で総本山的なところだという意識はありました。ここに入れたらすごいことになるな、と。
もっとも、結局入ることになった全農で最初に教わったのは、決して全国連がJAグループのトップではないということでした。
JAグループは、全中をトップとするピラミッド型の組織ではなく、全中をボトムにした逆ピラミッド型の組織なのです。JAグループでトップに来るのは、必ず組合員だということです。
 
全中の1次試験は、就職説明会と合わせて行われ、200人くらいは来ていたと思います。東京で1回、京都で1回行われるとのことで、全部で300人~400人くらいは受けたのだと思います。採用されたのは2名ですから、まあすごい倍率です。
 
1次試験は、SPI試験と作文だったと記憶しています。
作文では採用後に何がしたいかという論題だったと思いますが、「都市農業を守る運動に関わりたい」というように書いた記憶があります。
敢えて日本農業と書かず、都市農業と書いたのは、もちろん東京の農家に生まれた自分だからなのですが、他の受験者が誰も書かないようなテーマで書けば、少しでも目立つだろうと思っていたのだと思います。
試験の前の説明会でも、何を言ったかは記憶ありませんが、手を挙げて何か質問したようにも思います。あれも、質問があって質問したのではなく、大学名と名前を言えるので少しでもプラスになるだろうと思ってしました。
 
果たして、1次試験を突破し2次試験に進みました。
推定300~400人の中から10人に絞られた中に入ることができ、もうこの時点で自分は内定貰ったも同然に思ってしまいました。
2次試験を受けた10人は、それなりに良い大学から来てはいましたが、農大の自分が負ける気が全然しなかったので、たぶんあの時の自分が人生のピークなのかもしれません。
 
面接は受験者5人のグループ面接でした。面接官は人事課の2名のほか、労働組合委員長というのが特徴的でした。
卒論の内容を教えてくださいという質問で、岡山大学大学院(遺伝学専攻)が、何やら専門的なことを並べ立てて、聞いている誰もが理解できずにいました。、私に対して同じ質問を労組委員長が「誰にでもわかるような言葉で説明してください」と言ってきたので、できる限りかみ砕いて説明したと思います。というか、そんなに大した卒論ではなくて良かったと思いました。
全中の2次試験は、就職活動中、唯一の経験ですが、昼食が出され、のみならず交通費まで出ました。
 
これで全中に受かったつもりになっていたのですが、ほどなく不採用の通知を受け、ガッカリしましたが、まあ仕方ないなと。
 

全中を落ちてから10日後くらいだったと思いますが、今度は全農の採用活動が始まりました。確か2週間のうち4回面接に呼ばれ、あっという間に内定に至りました。
全中と全農で、こちらが言った志望動機はまるっきり一緒です。
大学時代は農友会・収穫祭の役員として農大のために貢献してきました。就職したら日本の農業、特に都市農業のために貢献したいと考え、志望しました、と。
 

あとで分かったことですが、全中の2次試験を落ちた8人のうち、私を含め3人が全農に入っています。
あのとき全中に受かった2名は、京都大学農業経済と高崎経済大だったそうです。京大はともかく、高崎経済大に負けたと思うと悔しいですね。
京大の方は名前まで憶えています。昨年は中央会改革の担当課長を務められたようです。
 
 
さてさて。
今回の全中会長選挙に出るJA東京都中央会の須藤正敏会長は、私の妻の伯父にあたります。妻の母の兄。
初めて会ったのは、私たちの結納の席に同席していただいた時です。当時は東京むさしの代表監事でしたが、あれよあれよと言う間に昇進されました。
 
妻は子供のころ、母の実家である須藤家には、お盆やお正月などの時に行っていました。
輸入農産物の危険性とか、そういうような内容のビデオがたくさんあり、それを見て感想を述べないと、子供たちはごちそうにありつけなかったそうです。
なるほどそういう家であればこそ、父・須藤会長よりも素質のありそうな息子・須藤青年部長も生まれて来るのかと。
 
東京の会長が全中の会長選挙に出るのは初めてのはずです。受かったら画期的。何かが起こりそう。
かつて40年くらい(?)会長に居座った加藤源蔵でさえ全中では副会長まででした。
 
私個人としては、就職試験で落ちた全中に、伯父さん、かたき取ってくださいという気持ちです。

 

 

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